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5月2日に音楽家の井上堯之さんが77才で亡くなられました。

お悔やみ申し上げます。

井上堯之さんといえば真っ先に思い出すのが【ジュリーこと沢田研二】さんです。

若い頃のイケメン沢田研二(ジュリー)の魅力を思いつくままに書き留めました。

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沢田研二さんの若い頃はコワイほど美しかった

ジュリーの魅力は容姿もだけどその歌声

ここだけの話、ジュリーの演技はあまり見ていません。

と言うのも、ジュリーの魅力は歌っている時の姿が美しかったというのもあるし、曲がスゴク素晴らしかったからですね。

演技では、中性的な魅力が半減されるような気がしていました。

だって、男なら筋肉ですよ(個人的意見です!)

ムキムキのジュリーなんて見たくないでしょ?

沢田研二

これ程のスーパースターはもう、出ないと思います。

まあ、歌番組が激減して、昔で言うところの【お茶の間のスター】と言う存在が少なくなった事もありますがジュリー程、ステージに対してこだわりのあるスターは生まれない気がします。

トップスーパースターとして20年以上もテレビの中で自分の魅力だけで勝負してきた人もいないのではないでしょうか?

作詞、作曲者の方の才能も勿論ですがジュリーにしか表現できなかったと思います。

しかも、自分で曲作りもしてヒットを飛ばしていました。

アン・ルイスに提供した【ラ・セゾン】は三浦百恵さん(山口百恵)の作詞という事もあって、大ヒットしました!

ザ・タイガースのネーミングは阪神タイガースだった

1967年2月に18歳で【ザ・タイガース】のヴォーカルとしてデビューし黄金のGSブームを第一線で支えてきました。

ちなみにジュリーという呼び名は映画メリーポピンズで有名な【ジュリー・アンドリュース】という女優さんのファンだったためということです。

この頃から世界的な活躍を予感していたのかも知れません。

出発が関西ということでグループの名前は【阪神タイガース】から来ています。

メンバーは

  • 沢田研二(ジュリー)ボーカル、タンバリン(1948年6月25日 )
  • 岸部修三(サリー)リーダー、ベースギター、コーラス(1947年1月9日 )
  • 加橋かつみ(トッポ)リードギター、コーラス、ボーカル(1948年2月4日 )
  • 森本太郎(タロー)リズムギター(1946年11月18日 )
  • 瞳みのる(ピー)ドラムス(1946年9月22日 )
  • 岸部シロー(シロー)タンバリン、コーラス(1949年6月7日 )

岸部シローは1969年3月に脱退した加橋かつみに代わって参加しています。

岸部修三(現・岸部一徳)の弟という事で引っ張られたのですが,彼は歌もうまくなく口パクだったうえにタンバリンも調子が外れていたためタンバリンの音が出ないようにされていたのでした。

そんな岸部シローをにこやかに受け入れていたザ・タイガースのメンバーの温かさが感じられます。

ザ・タイガース出典元https://tower.jp/article/feature_item/2013/10/02/0704

沢田研二の中性的な魅力はこのあと、ずっと続きます。

1971年11月に独立してからは【アイドル】を卒業し一人のエンターティナーとして今現在も活躍しています。

今年の6月25日で70歳になります。

沢田研二若い頃のイケメン過ぎる思い出

沢田研二さんの血液型に興味のある方はこちらもどうぞ!!!

ただ、歌を歌うではなく歌に対するこだわり、表現力!!!彼が歌うと全てが物語的な魅力に変わりました。

お決まりのオーケストラによる伴奏を【井上堯之バンド】の演奏にこだわったのも彼らしいと思いました。

【バックバンド】で表現したのもジュリーが初めてだったように思います。

1977年5月に発売された【勝手にしやがれ】でレコード大賞を取った時もバックバンドは【井上堯之バンド】でした。

沢田研二

 

この時、ステージから客席に向ってパナマ帽を投げるパフォーマンスが話題になりました。あの帽子はきちんと回収されたのかと心配してましたっけ・・・

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沢田研二と井上堯之バンドの時代

抜群の表現力とビジュアルの魅力そして流行の最先端!

この後もヒット曲は続きますが、私の好きなジュリーの画像を少し紹介します。

1978年1月【サムライ】では衣装が問題視されましたね。ナチス風の腕章が問題だったようです。

そのために途中で衣装も変えました。

でも、今では若い子たちの間で「マジ、卍(マンジ)」とか使ってますけど?それはいいの?って言いたいですね。

沢田研二

引用元 https://youtu.be/JZ4LbVhahvA

1978年5月【ダーリング】で2年連続のレコード大賞獲得かと期待しましたがピンクレディーにサラワレテしまいましたね。

沢田研二

引用元 https://youtu.be/4LmC5qyQSiA

セーラー(水兵)のコスチュームと指を舐めるしぐさがセクシーでした。その指をなめたいと思ったファンは私だけではないと思いますよぉ!!!!

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史上初?ステージ歌手がアニメソングを歌う

1978年8月には劇場用アニメ「宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」

のテーマソング【ヤマトより愛をこめて】が発売され大ヒットとなりました。

心に浸みる曲ですね。

♪~今は~さらばと~言わせないでくれ~♪

♪~今はさらばと言わせないでくれ~♪

翌月、9月には【LOVE 抱きしめたい】が発売され

第29回NHK紅白歌合戦でジュリー初めての大トリを務めました。

スタジオに雨を降らし黒いコートに身を包んだ彼が

一番好きかも知れないです。

右手に巻いた血の付いた包帯にどんな意味があるのかと

友人と語り合ったものでした。

 

場所はイギリス

貴族の人妻との恋に悩み、町を彷徨ううちに入った酒場でお酒を飲み、酔った勢いで思わず壁を殴ってしまった。

怪我をした彼の傷を手当てをし包帯を巻いてくれたのはそこの酒場の美しい女性、思わず口づけするが我に返って酒場を飛び出すと、外は雨。死にたいほどの後悔を抱きながら歩き続ける。

ドラマ以上にドラマティックですね~ウットリしてしまいます。

沢田研二  引用元 https://youtu.be/XuXVuU1XXzY?t=238

1979年2月には【カサブランカ・ダンディ】が歌番組「ザ・ベストテン」で1位となりましたがそれ以来ジュリーの曲が1位になることはありませんでした。

いい曲はたくさん出ているのにと思いながら歌謡界が衰退していくような寂しい気持ちに襲われたのを覚えています。

カサブランカは1942年に製作されたアメリカ映画「カサブランカ」のことで「ボギー」とはその映画の主演俳優「ハンフリー・ボガード」の愛称です。

この曲を知って映画「カサブランカ」を知った人は多かったでしょうね?私もその一人です。

まだ、ビデオもない時代でしたから、テレビで知ったのでしょうね?

沢田研二

引用元 https://youtu.be/a0iDGsMzXT8?t=212

これも史上初?妖艶なメイクアップ

1979年5月発売のOH!ギャル】で初めてメイクをするようになりました。今では、メイクをする男性のタレントさんはたくさんいますがこれもジュリーが初めてだと思います。

そして、恐ろしく綺麗でした。(衣装はイッセイ・ミヤケ)

沢田研二

【ギャル】が流行語にもなりました。今とは全然違う意味で使われていましたけどね。

この当時は、「若くて明るく社交的で魅力的な女性」をそう呼びましたが(当時は私も立派なギャルでしたW)

今では突飛で独特なファッションをしている女性(今は死語かも?)のことですかね?

パラシュートで井上堯之はジュリーに「あばよ! 」

1980年1月にTOKIOを発表しパラシュートをテレビの舞台に持ち込むという斬新なパフォーマンスで大ヒットしました。

たくさんの電飾で衣装を飾り、私たちファンは感電しないのか?と心配しましたが、ゴムの下着を付けて配慮していたそうです。

沢田研二

でもこの曲で【井上堯之バンド】はジュリーから離れ解散までしてしまいました。

斬新すぎるジュリーに井上堯之さんは付いていけなくなったようです。井上堯之さんには音楽のこだわりが強かったのでしょうね?

ステージ上で魅せることに対してもこだわったジュリーとの感性の擦れ違いでしょうか?本当に残念な気持ちでいっぱいでした。

沢田研二さんはA型です。

性格とか気になる方はこちらもどうぞ!!!

A型男性の恋愛!本命本気度の見分け方!相性がいい血液型の女性とは?

ひじきママひじきママ

ひじきママでした。
最後まで読んでいただいてありがとうございます!!!


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